この店がなかったら私はどうなっていたか…

昭和40年代に、年間5千体以上売れたこともあった人気の『マリヤ人形』は、被爆者たちが手作りしていたそうです。

宮崎香蓮さん:「お店の雰囲気みたいなのってどんな感じでしたか?」

横山照子さん:
「みんな一緒になってね、この店を盛り上げようという気持ちで、みんなかかってたと思います」

松谷英子さん:
「この被爆者の店がなかったら、私は今どうなってたやろか?って。被爆者の店は、みんなが助け合って来られたから、これまで勤められたんだなってそれは本当に感謝してます」

松谷さんの人生を大きく動かしたのが、『松谷訴訟』の名で知られる原爆症認定裁判です。

原爆症認定制度は、国が『原爆の放射線が原因の病気やけが』と認めれば、医療手当を受けられる制度で、松谷さんは過去に2度、申請したものの国は却下しました。