8月9日の平和祈念式典で被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げるのは工藤 武子さんです。

工藤さんは7歳の時に被爆。
その後、夫の故郷・熊本に移住。69歳のとき、旅先での出会いをきっかけに、紙芝居を使った被爆体験の継承を始めました。

広島の被爆者・サーロー節子さんが世界へスピーチをする姿に感銘を受け、祈念式典の「平和への誓い」に応募。今年の被爆者代表として、思いを世界に届けます。

紙芝居を読む工藤 武子さん:
「たった一瞬の閃光で長崎の街は一度に焼け野原になってしまったのです…」
(深堀 弘泰さん 被爆体験記 より)

今年の「平和への誓い」を読み上げる熊本市在住の被爆者・工藤武子さん(85)
被爆2世と共に、紙芝居を使いながら原爆の恐ろしさを今に伝え続けています。

工藤 武子さん:
「核兵器が使用される心配がある社会情勢、国際情勢の中で(紙芝居を披露する)場を開いてくれたのはありがたいけども、熊本では(原爆について)関心が薄い…。
(戦争を)過去のこと、日本にはあまり関係ないと思っているのかな…。
そういうのが残念だと感じている…分って欲しい、考えて欲しいと」

一緒に被爆した家族は相次いでがんで死亡 自身も肺がんに

7歳の時、爆心地からおよそ3キロの片淵町で被爆した工藤さん。
自宅で母と姉、それに2人の弟と昼食を食べようとしていたところ、原爆に遭いました。

工藤さんたちは直前に庭の防空壕に入ったため全員、無事でした。

工藤 武子さん:
「今まで食事をしようとしていた茶の間を見たら、酷い有様で…
縁側のガラス戸が全部割れてしまって、食卓はひっくり返って、なんでか分からないけど、畳が跳ね上がってる。床下から爆風が吹き上げたんだと思うけど…。
酷い状態でした」

母親のお腹の中にいた妹は被爆から半年後に生まれ、工藤さん一家は祖父がいた長崎県平戸に移住。
農業で生計を立てる生活でした。

その後、被爆当時は大きなケガもなかった家族を、次々とがんが襲います。

父、清さんは被爆から14年後に──

被爆から50年ほど経った頃には、母、妹、姉、弟と相次いでがんになり、亡くなっていきました。

そして、癌は工藤さんにも。

工藤 武子さん:
「私も3年前に肺がんが見つかったんですよ。(癌が見つかったのが)初期だったからこうして元気になれた。70年以上経った今も人を苦しめているというのは恐ろしい…」

「今まで何をしてきたんだ…」紙芝居で原爆の恐ろしさを伝える活動を開始

50代の時、夫・勇二さんの地元、熊本に移り住んだ工藤さん。

平和活動に取り組むきっかけになったのは、世界を見ることができるという好奇心から、69歳の時に参加した“ピースボート”でした。

工藤 武子さん:
「(平和について)話し合ってくれるんです。もう熱心に、圧倒されました。
私はのほほんとしていたから。
被爆者でありながら、自分は一体今までなにをしてきたんだと…」

これを機に、熊本の被爆者団体にも加わった工藤さんは、熊本の被爆2世や市民ボランティアと共に、被爆者の体験を紙芝居にして、原爆が何をもたらすかを後世に伝えています。

(紙芝居を披露する工藤さん):
「火の気のある焼け跡を夢中で掘り返しました。変わり果てた弟の姿を発見しなければなりませんでした」
「助けてください…助けて…」

小学生:
「すごく怖くて、私だったら正気でいられないと思う。」

熊本県在住 緒方 美保さん:
「鳥肌がたった。(原爆の光景を)私は見ていないけども、想像できる。目に浮かぶような…」

工藤 武子さん:
「(紙芝居で)平和を伝えることが、私の使命、役目、宝」

サーロー節子さんのスピーチきっかけに「平和への誓い」に応募

2017年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞授賞式でスピーチした広島の被爆者・サーロー節子さんは「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」と訴えました。

この言葉に後押しされた工藤さんは「自分にもまだできることがある」と決意し、平和祈念式典で被爆者の代表が読み上げている『平和への誓い』に毎年、応募してきました。

工藤 武子さん:
「ICANのリーダーみたいなことはできないけれども、私にできることは(平和への誓いに)応募すること、紙芝居をすること。
今の平和がどんなに大切なものか、当たり前ではない。
(戦争は酷いものだったという)歴史を伝えることはできるから」

そして、7回目の応募となった今回。
工藤さんの思いがようやく届きました。

長崎市担当者:「代表者は工藤武子さん。熊本市在住85歳でございます」

「平和への誓い」代表者選定審査会 調 漸会長:
「被爆2世と共同で作成した紙芝居による、平和学習への語り部活動に取り組むなど、今年の平和への誓いにふさわしい」

被爆者がいなくなる時代が目の前に迫る中、若い世代への継承が評価された選考結果でした。

工藤 武子さん:
「(平和への誓いで)1番伝えたいことは、人類の未来の為には核兵器廃絶するしかないと。この地球を守って、人類を守るのに“抑止力”だの“軍備増強”だの、そんな場合では無いでしょと言いたい。”核廃絶”しかないだろうと言いたいですね…」

子ども達が戦争に巻き込まれ、同じような苦しみを味わうことがあってはならない。
長崎や広島以外にも、平和を強く訴える声があることを知って欲しい。
その思いを込めて、工藤さんは被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げます。