昭和のヒーロー、日本のプロレスの創始者 力道山。
必殺の空手チョップで日本を熱狂させた力道山が、長崎県大村市のゆかりの寺に墓参りに訪れた際の映像を入手しました。

白黒で残る映像は、今から60年前の昭和37(1962)年に、大村市の田島セツ子さんが撮影しました。

住職と階段を上るサングラスの男性は、周りの人たちとは明らかに体格が違います。男性は「力道山」──これまで一般に知られていなかった映像です。

力道山は、必殺の空手チョップで外国人レスラーを次々になぎ倒し、敗戦で打ちひしがれた戦後の日本人に“勇気”と“希望”を与えた“昭和のヒーロー”です。

映像が撮影されたのは、大村市にある“長安寺”です。

長安寺 田中 勝宏 住職:
「その時はね、昭和37年かな? あの時、ぞろぞろ連れてきてお墓参りをされた」

力道山の遺骨は分骨され、この寺の百田家の墓にも眠っています

力道山は朝鮮半島出身でした。
『相撲の才能』を見出し、日本に招いたのが大村出身の警察官と、その義理の父親・百田 巳之吉さんでした。

力道山は後に、百田さんの養子となり“百田 光浩”と名乗るようになります。
相撲を廃業した後、プロレスで大成功した力道山。
九州や長崎での興行のたびに、恩人である百田家の墓を訪れていたといいます。

記者(お参りにはよく来られていたんですか?)
長安寺 田中 勝宏 住職:
「興行の時には毎年じゃないけど、九州で興行があるときには来て、お墓参りして、本堂でお勤めしたりして」

長安寺 田中 勝宏 住職:(映像を見て)
「(貫禄が)違うね。オーラが違うもん。大スターだからね」

力道山は映像の2年後に、暴漢に刺された傷がもとでなくなります。39才の若さでした。
残された映像には、輝きを放つ昭和のヒーローと、大村との深い関係が記録されていました。