被爆直後の長崎の写真を収集・調査し続けた被爆者の深堀 好敏さんが21日亡くなりました。94歳でした。

深堀 好敏さんは、16歳のとき爆心地から3.6キロの矢の平町で被爆。姉を亡くし、自らの手で火葬しました。

深堀 好敏さん(2017年):「8月9日は、私にとっては一番辛い」

1979年に被爆写真の収集・調査を始め、“被爆した長崎の真実” を一つ一つ掘り起こし、伝えました。

深堀 好敏さん(68歳 当時)
「何か訴えたかったと思うんですよ。亡くなっていった人はね。ただ『水をください』だけではなくてね」

2002年から長崎平和推進協会 写真資料調査部会の部会長を務め、長崎市がアメリカで行った被爆写真の収集にも同行。

このとき、行動を共にしたのが原爆資料館の奥野学芸員です。

長崎市 被爆継承課 主事 奥野 正太郎 学芸員:
「 “これは長崎(の被爆写真)” “これは長崎じゃない” をひたすら繰り返すんです。本当に気が遠くなるような作業を ずっとしないといけないんですけれど。
”一枚でも多く持って帰るぞ” と ──その気持ちで私たちを引っ張っていって下さいました。
写真を “物” として見るんじゃなくて、“そこにあった生活” にまで、きちんと思いを落とし込んで、私たちは被爆のことを考えていかないといけないと教えて頂いた」

2017年には、平和祈念式典で被爆者が読み上げる『平和への誓い』の代表に初めて公募で選ばれました。

深堀さん(2017年 平和記念式典 ”平和への誓い”):
「原子雲の下で起きた真実を伝える写真の力を信じ、これからも被爆の実相を伝え、世界の恒久平和と核廃絶のために微力を尽くすことを、亡くなられた御霊の前に誓います」

40年にわたり、4千枚以上の被爆写真と向き合ってきた深堀さん。
今月21日、94歳で亡くなりました。

深堀さん(2017年):
「何もなかったこととして時代が進んでいくというのは、それはちょっと許せないわけで、次の世代の人に正しく知らせてゆかなければ」