ロシアのウクライナ侵攻が長期化する中、日本には現在、およそ2,200人のウクライナ人が避難していてこのうち29人が長崎県内に滞在しています。
避難生活が長引く中、それぞれに決意を固めたウクライナ避難民の今の思いです。

ウクライナから避難してきた アレックス・サハルマさん(17)の発表:
「2022年2月24日、この日、私の生活も、私の家族の生活も──
そしてウクライナ人の生活が変わってしまいました」

2月17日、長崎県佐世保市の日本語学校で開かれたスピーチコンテスト。
ロシアによるウクライナ侵攻で日本に避難してきた17歳のアレックス・サマルハさん(17)は “わずか7か月で覚えた日本語”で 今の心境を語りました。

アレックス・サハルマさん(17):
「ウクライナで戦争が始まってからもうすぐ1年になります。
今でもロシアは毎日人を殺して、ウクライナの街を壊しています」

1年前、ロシアから突然軍事攻撃を受けたウクライナ。
アレックスさん達が住んでいたのはウクライナ西部のビンニツァという街です。
比較的安全とされていましたが、2022年7月にはミサイル攻撃を受け、大きな被害が出ました。

アレックスさんが祖母のナターシャさんと共に避難してきたのは、そのわずか1か月前のことでした。
頼ったのは佐世保市のハウステンボスで“音楽活動をしている叔父”でした。

(家族の食事で)ナターシャさん:
「コトレティ(ロシア風ハンバーグ)ができたわよ。きょうは合挽き肉よ」

去年9月にはアレックスさんの祖父・オレクさんも避難し、今は日本語学校の寮で共に暮らしています。

アレックスさんの祖父 オレク・パシュコフスキーさん(60):
「ビンニツァの中心部は度々攻撃を受けています。私が住んでいる郊外は大丈夫でしたが、ミサイルが上空を飛んでいくのを何度か見ました」

戻りたくても戻れない──日本での仕事を探して

日本に来てすでに半年以上。終わりの見えない戦闘に オレクさん夫妻は「しばらくウクライナには戻れない」と感じ、あと1~2年は日本にとどまる覚悟を決めました。