運命の8月9日 被爆後7→5クラスに

そして迎えた8月9日ー。
朝から体調が悪かった岩永さんは、自宅近くの病院に行き、そこで被爆しました。
岩永さん:「写真を撮る時のあのマグネシウムみたいな。パーッと白で光って。へ?っていう間はなく、もうめちゃくちゃよね。ガラスから何から」
記者:「けがは?」
岩永さん:「なかったのよ、それが」

爆心地から3キロあまりの岩永金物店は、倒壊を免れ家族も無事でしたが、当時からある店の倉庫には爆風の凄まじさを物語るものが残っています。

岩永さんの長男・岩永和之さん:「これですね、これが原爆で曲がった鉄のアングルです」

学校が再開したのは10月。
7クラスあった岩永さんの学年は5クラスに。
林 嘉代子さんが亡くなったのを知ったのも、その頃でした。

岩永さん:「無表情と同じ。『あの人亡くなったんだってよ』『あ、本当』って。戦争に負けたという事実自体がわからんのよね。だって、勝つまでは頑張りますとか何とか言って一生懸命やってきて。はぁっと。そんなもんよ」

岩永さんたち生き残った42回生は、半年後、青春を取り戻せないまま卒業しました。








