工場に動員されなかった嘉代子さんを "羨ましく思っていた"

しかし、次第に日常は奪われ、校舎は敵機の目をくらますため、迷彩色に塗りかえられました。

3年生の秋からは学徒動員が始まり、岩永さんは兵器工場で働きました。

岩永さん:「魚雷を作っていた。筒っぽのだいぶ大きいドラム缶のようなものに部品をくっつけていくわけね。そういうのをやらせられるのさ」

一方、嘉代子さんの動員先は、三菱兵器製作所の給与課で鉄筋コンクリート造りの城山国民学校にありました。

岩永さん:「給与課はよかねー、あんた、手の汚れんとよ、とかやっぱり言ってたよね」