原爆症の症状で苦しみ“死の宣告”を受けた鈴木一郎さん

鈴木 一郎さん:
「ここの一角が(自宅・会社があった場所)。勉強部屋がこっち(爆心地方向)を向いてたんですけど、そこにおらずに下(一階)に降りていたから助かったようなもんです」

鈴木市長の父・鈴木一郎さんがいたのは出島町でした。強烈な爆風で、2階のガラス戸は粉々に割れ、家中に突き刺さっていました。辺りからは火の手が上がり、岸壁には次々に遺体が流れ着いたといいます。

鈴木 一郎さん:
「この角の辺りに『水上警察署』があったんですよ。遺体が流れてきて、この辺ですくい上げて陸上に上げていた」

「長崎搾油工業株式会社」(画像参照)
爆心直下の駒場町にあった鈴木家の会社です。一郎さんは父親と共に、この工場の焼け跡に入り、従業員とみられる遺骨を拾いました。当時のことを一郎さんは自身の手記にこう記しています。

『もはや、そこはかつての長崎の町ではなく、どこか異次元の世界に来ているような錯覚に陥るほどに変わり果てていた』(手記『永遠の愛』より)