シリーズ被爆80年「NO MORE」。今回は「被爆体験者」の問題を取り上げます。長崎の「被爆体験者」は「被爆者」と認められず、見えない放射線の影響に苦しみ続けてきました。裁判は長期化し、国は「客観的証拠がない」と認定を拒みます。目に見えない核兵器の被害を訴えている多くの被爆体験者の声はこのままなかったことにされてしまうのでしょうのか?
「恣意的な線引き」への異議

先月、イギリスの取材クルーが長崎を訪れました。訪ねたのは岩永千代子さん(89)、長年、被爆体験者訴訟を率いている原告団長です。

「ザ タイムズのロイド・パリと申します。よろしくお願います」

イギリス、THE TIMES紙の東京支局長。今も続く原爆の傷を取材しているといいます。

岩永千代子さん「(原爆被爆地域図を示しながら)この線(=市町村の区分線)に沿ってね、残留放射線が降って来たのかと」
リチャードロイドパリ東京支局長「そう。それは恣意的な線引きだ。ただの行政区域だ」

行政区域を基本に線が引かれている長崎の「被爆地域」。せめて同心円に広げるべきだと訴えてきたのが「被爆体験者」とされている人たちです。

岩永千代子さん「私だけの問題じゃない。しっかり届けないといけないと私は思う」

リチャードロイドパリ東京支局長「私が興味があるのは、誰が被害者で、誰がそうでないかを定義することの難しさです。原爆で“目に見えない被害”を受けた人がたくさんいるのは明らかだ」