閃光と同時に衣服が燃えだした

1945年8月9日に、何人がここにいたかは分かっていません。ただ、戸外にいた人の衣服は閃光と同時に燃え出し、頭髪も燃え、皮膚が焦げて垂れさがっていた。正常な姿の者は誰一人としておらず、傷つき、血を流し、ボロボロの半裸の姿で何か叫びながら走り、阿鼻叫喚の光景が広がっていたーとする証言が伝えられています。(長崎原爆戦災誌より)

佐世保市の老人ホームに、当時幸町工場で働いていた人が暮らしています。山下正英さん、99歳です。船の機関部やプロペラなども作る「鋳造工場」に勤務していました。

幸町工場に勤務していた 山下正英さん(99):
「戦艦『武蔵』のスクリュー…あれなんか鋼で作ったもんね」

山下さんは当時は20歳。工場長の命令で、8月9日は浦上川を挟んだ対岸の雑木林に避難していました。