翌朝は…死屍累々 同僚の遺体を焼き続けた

原爆投下からおよそ30分後には火の手も上がり、工場は全壊・全焼。折れ曲がった鉄の骨組みだけとなりました。唯一、爆風と並行に立っていた「赤レンガの塀」だけが原型をとどめました。

幸町工場で被爆・犬山春吉さん(被爆時32歳)※1973年取材
「子供、女の悲鳴ですたいね。あちこち声がしまして大混乱じゃったですたいね」

幸町工場で被爆・中江八束さん(被爆時29歳)※1976年取材
「翌朝はもう…死屍累々。とにかく人間らしい形相じゃないんですからねもう…黒焦げだから。発見される死体は全部そこに持ってきて、翌日の晩から焼き始めたんですね。幾晩焼いたか今ちょっと覚えてないんですけど」

「自分の同僚を焼くんだから…。もう恐怖心通り越すわけですね、どうせ死ぬんだと。あの人たちと一緒に俺も死ぬんだと。沢山の同僚を、我々の手で…戦場でもないのに死体を焼くわけだからですね…悲惨ですね」