今から77年前、1945年の5月11日、宮崎市で下校中の子どもたち12人がアメリカ軍の空襲により犠牲となりました。



この学校に通っていた男性が画家となり、88歳となった今も戦時中の記憶を絵画として残す活動を続けています。その思いとは・・・

戦時中の記憶を絵画に残す活動


爆撃により道路に空いた2つの穴。その奥には倒壊した建物が描かれています。

(画家 森山 修さん)
「誰にも制約は受けられない。これを私が描きたいものを私が描く」

画家の森山 修さん。宮崎市のアトリエでおよそ70年にわたり絵を描いています。



現在、88歳の森山さんはこれまで油絵や水墨画、それに彫刻など多くの美術作品を生み出してきました。

(画家 森山 修さん<二科宮崎支部長>)
「これはですね、戦時中の絵なんです」

森山さんは、20年ほど前から戦時中の記憶を絵画に残す活動を続けています。

今から77年前の5月11日、宮崎市でアメリカ軍の空襲により下校中の子どもたち12人が犠牲になりました。

森山さんが通っていた学校の子どもたちです。当時、森山さんは6年生。この絵は、その時の記憶をもとに現場の状況を描いたものです。

「爆弾落下跡Ⅱ」 森山 修



(画家 森山 修さん<二科宮崎支部長>)
「記録っていうものがない。だから、これは描いておかないといけないのかなあと。記憶があるうちにね。そう思ったのが一番のきっかけです」

爆弾が投下された時、宮崎市の自宅で疎開の準備をしていた森山さん。その後、防空壕に避難しました。

(画家 森山 修さん<二科宮崎支部長>)
「(防空)壕に入っての爆撃は初めてだった。上にかぶせた土が、ばんばん落ちてきて、息もできないくらいあった」

その時の状況を描いたのがこちらの絵。女性たちが暗闇の中で耳や顔を抑えています。

「壕の中」 森山 修



(画家 森山 修さん)
「いつも元気なおばちゃんたちが大変だった。『南無阿弥陀仏』『南無妙法蓮華経』とか、みんながここで唱えだした」

森山さんは、脳裏に焼き付いている光景をキャンバスに描き続け、これまでに戦時中の絵画14枚を完成させました。