シリーズでお伝えしている「戦後80年 つなぐ宮崎の記憶」。
2回目は、戦時中、沖縄からの疎開者が多く移り住んだ宮崎市波島地区に注目します。
波島地区で戦争を語り継ぐ人たちを取材しました。
沖縄戦が始まる前、5歳の時に母と弟と宮崎へ疎開

今月9日、宮崎市波島地区で開かれた夏祭り。
会場の一画で、高齢の男性が若者に戦争について話す姿がありました。

「赤江方面の飛行場で飛んだり降りたり、米軍の飛行機と空中戦をやっている。今では夢のよう。あれは現実だったから。宮崎もあちこちに焼いた弾が落ちて、危ない戦禍にあった」
この男性は、山内 武さん、87歳。
沖縄県与那原町に生まれ、沖縄戦が始まる前、5歳の時に母と弟と宮崎へ疎開しました。

(山内 武さん)
「母親がわれわれ子ども3人を育てるのは大変な生き地獄で、今でも母親の愛情は忘れません」
(話を聞いた人)
「(山内さんは)80年間を宮崎で生きてきた。それはやっぱりいろんな思いがあるから、そういった話を聞いていきたいと思った。平和って大事だなと思った」