橋爪さんの自宅があったのは、地震による大規模火災に見舞われた輪島市の朝市通り周辺。自宅の様子を見に来ることができたのは、1月3日のことでした。


橋爪和夫さん(2024年7月取材時)
「黒いドアがあるでしょ。それが、そこ(自宅)。」

公費解体を終え、更地となったふるさとの風景。住まいを失っても、店を再建したいという橋爪さんの思いは、ゆるぎないものでした。

橋爪さんの自宅があった場所に残された玄関のドア(2024年7月)


橋爪和夫さん
「神様が『仕切り直せ』と言っているんだ、そう思えばいいんだよ。死んだ人もおる、商売できない人もおる。そんなことを思ったら何を贅沢言っているんだという感覚。だから、その気持ちを色んなところで発揮するしかないでしょ。」

倒壊こそ免れたものの、修繕が必要になった木造平屋建ての店舗は今年1月、工事ができる業者がようやく決まり、今月中に営業を再開できる見通しが立ちました。


しかし、店で販売する商品に不安が…。

「電話すると『納品したかったけど、廃業した』とかね。それが現状なんだなって。」

もともと、奥能登4つの市と町を中心に200以上いた納品業者は、地震と豪雨の影響で半分以下になる見込みだということです。さらに、人件費の問題も。店の休業中は、国の「雇用調整助成金」を活用して従業員の給与を支払うなど雇用を守ってきましたが、今年からは、銀行からの借り入れで全額負担となっています。


従業員・山本真司さん
「(他の所で)バイトをさせてもらったりとかして食いつないできた。早いようで短いような感じ。再開はとりあえず、うれしかった」

値札の登録作業などの事務作業を一手に担っていたスタッフが退職したりと、人手不足の問題にも直面しています。


店長・橋爪和夫さん
「やっぱり人が命なので、一人でも欠けると大ダメージになる。お互い苦しいところを乗り越えてきたので、ある程度、形になって元に戻るまで頑張ろう、という。不安を抱えている反面『乗り越えてきたのだから出来るだろう』という思いもある」

再開を6日後に控えた今月14日。待ちわびた納品業者がやってきました。輪島市の漆器店です。


橋爪店長
「わあ、いい言葉やがいねこれ。『輪島復興のかけ箸』」
納品業者
「『復興のかけはし』と『あなたと私のはし渡し』の箸」
橋爪店長
「やあ素晴らしい、素晴らしい」


ショーケースが、徐々に彩りを増していきます。

大藤漆器店・大藤孝一さん
「大藤さん来てっていうから喜んで!って。販売する場所がないのが一番つらい。職人は仕事をすればいいけど、その仕事を持ってくること。販売がなかったら、まず持って来ることもできないし。こういう場所がオープンできるのは、めちゃくちゃ嬉しいよ」


久しぶりに仕事をする相手だけに、ついつい長話も。

大藤漆器店・大藤孝一さん
「やっぱり2年前を思い出してこうやって値札貼ったな、とかね」
橋爪店長
「あのとき(震災前)の景色が当たり前やったけど、いかに平和だったのかがよく分かるよね」

「『大変やったね、よくここまで来たね』っていう話から始まるもんで、粛々と納品というわけにはいかないんだよ。お互いに元気になったね、乗り越えたねという話ができるじゃない。そういう意味でも、店をあける意味がある」


そして、迎えた再開当日の20日。店には朝から、開店を祝いに訪れたなじみの客や業者の姿が。

胡蝶蘭が描かれた輪島塗は、先日、納品に訪れていた大藤漆器店から贈られたものです。

橋爪店長
「ありがたい。自分の想いをもって、持って来てくれたことが何よりも嬉しい。うちらも応えないといけない」


一週間前はがらりとしていたショーケースも、生産者たちが思いをこめて手がけた商品が所狭しと並びます。

スタッフおそろいの制服に身を包み、迎えた再スタート。少しずつ、少しずつ客の姿が増えて来ました。

訪れた人は…
「たまたまきょうがオープンと知らなくて。トイレ休憩で立ち寄った。以前のような活気が戻ると嬉しいですね」


店の一角には、能登半島地震の発災当時に撮影された、店の写真が飾られています。

「あの日、ここで出会った人たちと再会を果たしたい」橋爪さんのそんな思いも込められています。


奥能登山海市場・橋爪和夫店長
「来た人が、奥能登が元気になっていることを感じていただけるような会話もしたいし『お互いにこれから頑張りましょうね』というのが伝わるような店にしたい」