「僕はおふくろを殺しちゃったんだ」 ぬぐえない思いを語り続ける

原爆投下により母を亡くした岩佐さんは、自らの体験を語るときこのような言葉を使っていました。

「僕はおふくろを殺しちゃったんだ」

もうちょっと自分ががんばっていればどうにかなったのではないか、その思いがぬぐえなかったといいます。

「原爆はこんなに怖いものなんだ。語るときには表面的なことではだめだ」と周囲に語っていた岩佐さん。

1953年に金沢大学で助手になり、その後法学部の教授を務める傍ら1960年には石川県原爆被災者友の会を立ち上げました。

石川県内の被爆者支援に尽力した岩佐幹三さん(1982年)

1994年に金沢大学を退官してからは千葉県に移り住み、日本被団協の代表委員などを務めてきました。