能登半島地震の被災地、石川県七尾市の中学校でも卒業式が行われ、生徒たちが新たな一歩へ旅立ちの時を迎えました。このうち七尾中学校では、136人の卒業生を代表して小田雄斗さんが、能登半島地震での被害を乗り越え歩んでいく決意を答辞に込めました。

小田さんの答辞、全文です。

答辞を述べる小田雄斗さん

答辞
教室に差し込む明るい光に、春の兆しを感じるようになりました。私達を優しく照らすその光は、傷ついた能登の地にもそっと春の訪れを告げています。
「今日から中学生」ドキドキしながら臨んだ入学式からはや3年。もうすぐ私達の中学校生活が終わろうとしています。本日は私達136名のために、このような卒業式を挙行してくださり、ありがとうございます。私達の3年間を振り返ると、とても長い上り坂のようでした。

入学早々の“マスク生活”

新しい友達がたくさんできた 中学1年生。コロナウイルスによるマスク生活で、コミュニケーションが取りづらく、新しいクラスに馴染むのにはとても苦労しました。部活動での大会も少なく、制限の大きい1年でした。

2年生になっても、コロナウイルスは猛威を振るい、制限は続きました。それでも、先輩方は工夫をし、見事な学校祭を作り上げてくれました。制限をものともせず、諦めることなく、全力で取り組むその姿は今でも心に残っています。そして3月。仲間とともに行った関西への修学旅行は一生の思い出になりました。

マスク生活から解放された3年生。友達とマスクのない顔を合わせて話せることが
「こんなにも素晴らしいことなのか」と実感しました。秋には、生徒全員が初めて経験する、制限のない学校祭が行われました。「やっと制限のない学校祭ができる」喜びを感じながらも、初めは自分たちの力で成功させられるのか、不安でいっぱいでした。「学校の最高学年として、みんなを引っ張っていかなければ」そんな思いばかりが先走り、自分の仕事が進まないこともありました。

合唱の練習では、うまく音程が取れず、クラスの仲間と何度も何度も練習を繰り返しました。「合唱も制作も最高のものを作りたい」その一心で、本番前日ギリギリまで粘りに粘って仕上げました。そうして迎えた学校祭当日。合唱コンクールのステージ上では、本当に「クラス全員の心が一つになった」と感じる瞬間がありました。

体育祭では、大声を出して応援し、団のために汗を流し、互いを認め合うことができました。後片付けをしながら、大きな達成感を感じていたのは、私だけではないはずです。1人では絶対に味わえなかった達成感がそこにはありました。

仲間と苦労しながら準備をしたからこそ味わえた最高の学校祭。校長先生が日頃よくおっしゃる言葉「やればできる」を身をもって体験しました。