『待たずに乗れる桜島フェリー』に
昭和22年に1日12便だった桜島フェリーは、昭和49年には1日83便まで増加。昼間は10分おきの運航で、「待たずに乗れる桜島フェリー」と呼ばれるようになりました。
高度経済成長の時代に、高校を卒業した村山さん。同級生の多くが集団就職で県外へ行く中・・・
(桜島に78年在住 村山勝典さん)「私は高校卒業して就農。跡取り息子だった」
4人きょうだいの長男だった村山さんは実家のミカン農家を継ぎます。ふるさとの桜島に残った村山さん。フェリーは変わらず身近な存在でした。

(桜島に78年在住・村山勝典さん)「昔は(フェリーで)農作物を運んでいた。ミカンと、大根を作っている人は桜島大根。青果市場が住吉町にあって。桜島大根を並べて競りをしていた」

しかし、昭和40年代後半になると桜島の火山活動が活発化。連日のドカ灰に悩まされる日々が続きます。

(桜島に78年在住 村山勝典さん)「雨交じりの灰が降ったときは、みかんが割れる。1年かけて作ったのが一晩で全滅。もう農業はやっていけない、みんな鹿児島市街地に仕事を求めた」