
黒之瀬戸海峡は「日本三大急潮」の一つといわれ、昭和のはじめ頃までは海峡を渡る船は個人のものばかりでした。

昭和21年からは県営フェリーが就航。しかし、便は日中でも1時間に1本ほど。乗用車は20台ほどしか積めませんでしたた。
「早く来なかった人は順番待ち。何十台と並んでいた」
フェリーとともにあった青春時代
同級生で集まると必ずあがる話題があります。

「船で最大100人近くが3学年で(阿久根市の)三笠中に」
(脇中清徳さん)「1クラス5人くらい、長島の出身」
橋が架かる前、脇中さんたちの地域の子どもは、海を渡って阿久根市の三笠中学校に通っていました。フェリーとともにあった青春時代はいい思い出です。
「クラブで時間が遅くなったら、黒之浜(阿久根)の人に送ってもらったことがある」
「大変だったことはなく、面白かった記憶しかない」

(脇中清徳さん)「向こうの友達が増えたという感じ」

島民の暮らしの一部だった県営フェリーは橋の開通で役目を終え姿を消しました。