そして3月12日午後3時36分、福島第一原発1号機で水素爆発が発生。避難先の狩野小学校で炊き出しをしていた消防団員たちは、山の向こうに上がる「キノコ雲」を目撃したといいます。

消防団による救助活動が再開されたのは、地震発生から1か月以上が経過した4月22日。この時点でも、救助されなかった人たちが、遺体となって次々に発見されていました。その多くは、腐敗が進み、傷みがひどい状態で見つかりました。

▼紙芝居・消防隊員の台詞
「俺たちが報告した場所からも、遺体があがったみてえだぞ」
「そっか⋯やっぱな⋯」
「ちくしょう!あの時、助けておけばよ、助けておけば⋯助けられた命もあっただろうに!」
「すまねえ、すまねえな⋯。俺たち、許してもらえねえべな⋯」

地元の住民たちで構成され、普段から地域との繋がりも強い消防団。東日本大震災では、このような消防団員が、自分がよく知る近所の人や知人を遺体で発見したケースも多く報告されています。

▼紙芝居・消防隊員の台詞
「原発さえなければ、放射能さえなければ、俺たちだって救助活動に参加できたんだ⋯。まだまだ、助けられたはずだ⋯。悔しい⋯」

「すべては原発だ、原発が悪いんだ。あんまり自分を責めんな」と仲間が慰めても、消防団員たちの“自責の念”は今も消えていません。