高知に帰ってきた櫻井選手と清岡選手ですが、多忙なスケジュールの中、報道各社のインタビューに応じてくれました。幼いころから切磋琢磨してきた2人での金メダル。“夢”のような、「最高の夏」となったようです。

■京面龍太郎アナウンサー
「清岡さん、櫻井さん、おかえりなさい!」

■櫻井選手と清岡選手
「ただいま」
「帰ってきました」

■京面龍太郎アナウンサー
「お二人が金メダルをとられてから高知はすごいことになっているんですが、高知に帰って来て、いかがですか?」

■清岡幸大郎選手
「いや、本当に、きょうお出迎えしていただいたのも、『より実感が増してくる』というか、『自分たちのやり遂げたこと』、また『オリンピックの大きさ』っていうのを実感しています」

■櫻井つぐみ選手
「本当に、盛大に出迎えていただいて、もう、オリンピックってやっぱり“夢”があるし、本当に『すごい舞台で自分たちが戦ってきたんだな』と、やっと実感が湧いてきています」

■京面龍太郎アナウンサー
「お二人がオフィシャルブレザーを着ているのが、雲の上の存在になってしまった気がするんですけども、“金メダル”を獲得した瞬間は?」

■櫻井つぐみ選手
「決勝前も『オリンピックの大舞台』っていうのは、あんまり意識しないように挑んだつもりだったんですけど、やっぱり、“優勝した瞬間”っていうのは、『本当にオリンピックで優勝したんだ』と思って…。ずっと目指してきた舞台で、本当に今までいろんなことがあったので、もう、そういう、本当に『いろいろな思い』が込み上げてきて、『やっと、やったんだ!』って思いました」

■清岡幸大郎選手
「『(自分の)試合前から、先に(櫻井選手の)結果が出る』っていうのは、ずっとわかっていたので、『絶対優勝して、俺にプレッシャーをかけてくれ』って直接伝えていましたし、(櫻井選手が)本当に優勝して『自分の番が回ってくる』ってなった時に、『あと1つで、2人で優勝して帰ることができる』っていうのを力に変えて、プレッシャーももちろんあったんですけど、全然、そこは試合になれば関係なかったですし、『(櫻井選手が)いい流れをくれたな』っていうふうに思いました」

■京面龍太郎アナウンサー
「その『いい流れ』にしっかりと乗って、清岡選手も金メダルを獲得されましたが、あの瞬間はいかがでしたか?」

■清岡幸大郎選手
「本当に、『これまでに無い』っていうか、『今後、オリンピックで2連覇するしか越えることができないぐらいの達成感』を、初めて味わえました」

■京面龍太郎アナウンサー
「清岡選手の試合を、櫻井選手も、現地で見ていましたが、どうでしたか?」

■櫻井つぐみ選手
「そうですね、うーん…他人の試合の方が緊張するんですけど(笑)…。(対戦)相手のことも幸大郎のこともよくわからないので、『レスリングの強さ』というか…。だから、余計に緊張するんですけど…。でも、すごく『楽しんでいるな』って思ったし、得意な技も決まって、すごく点差もあったので、もう、必死に応援していました」

「自分が優勝したのも“夢”のようなのに、『幸大郎と一緒に優勝できた』っていうのも、本当に“夢のようすぎ”て、本当に、なんて言うんですか…実感が湧かない状況でした」

■清岡幸大郎選手
「同じ出身地、同じ高知レスリングクラブで、学校も同じ…と、他を見てもなかなか無いことだと思うので、当然うれしいことですし、なんか、『すごいことをやり遂げたんだな』っていうふうに、なんか“誇らしい”ですね」

■京面龍太郎アナウンサー
「ちなみに、大会期間中、パリの街は満喫できましたか?」

■櫻井つぐみ選手
「…微妙です。なんか、会場自体はエッフェル塔の近くだったので、常に見えてはいたんですけど、なかなかそういう時間もなくて…。自分は(競技)1日目が終わった後に、体重調整もあったので、ランニングがてらエッフェル塔の下まで行ったんですけど、本当に、それくらいしかしていなくて…。もっとやりたかったことはあるんですけど、でも、『1番やりたかったことはやった』ので、もう満足です」

■清岡幸大郎選手
「僕も、(競技が)最終日なので、調整なんかがあって…。あと、選手村と試合会場もちょっと離れていたので、なかなかパリの街を散策することはできなかったんですけど、本当、同じように、『金メダルを獲ったら、そんなことは関係ないな』って…。それを上回る“喜び”があったので、結果的に『よかったのかな』って思います」

■京面龍太郎アナウンサー
「おふたりにとって『2024年のパリの夏』は、『どんな夏』だったか一言ずつお願いします」

■櫻井つぐみ選手
「本当に“夢のような世界”だったんですけど、“最高の夏”でした」

■清岡幸大郎選手
「“最高の夏”が出ちゃったんですけど…。当日、オリンピックをやっている時に、高知県は『よさこい祭り』をやっていたと思うので、同じような言葉を借りて、『“熱狂の夏”だったな』って思います」