日本中が歓喜に包まれたサッカーワールドカップカタール大会。コロナ禍の世界中がフットボールの熱狂の渦に巻き込まれる中、極東の少し小柄な若者達が、勤勉実直な守備と、スピード豊かな縦への推進力で「ドイツ」や「スペイン」という列強を震撼させた歴史的勝利は、時差など一切無視して世界中に配信されていった。

ただ祭りの終わりはいつも突然で、“歓声よりも長く”ピッチに立ち続けることは許されず、寂しさをまといながら歴史のうねりに姿を消していく。

決勝トーナメント1回戦、日本VSクロアチア
史上初のベスト8入りをかけた戦いは、前後半90分と、延長戦の前後半30分の120分を戦い終えて1対1。PK戦に突入した。

そして誰もが、爪の跡が残るほどに祈り、心で肩を組んだあの瞬間――

12年前の「あの試練」が脳裏をよぎった。

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「ここにいた4年間幸せな時間を過ごしました。これからも感謝の気持ちを忘れずに日々成長していきたいと思います。23年間ありがとうございました」

2022年11月、J3・FC今治のホーム最終戦後のセレモニーで、サポーターの拍手と涙に包まれていたのは「駒野友一」。41歳の元日本代表選手はこの日、現役生活にピリオドを打った。

駒野は和歌山県出身で、サンフレッチェ広島などで活躍。日本代表にも選ばれ、2大会連続でワールドカップの舞台に立った。そして’19年から当時JFLだったFC今治でプレー。元代表監督の岡田武史会長のもと、世界を知るベテランとしてチームを支えてきたがその決断理由は明快だった。

「全ての試合で足がつることになりましたし、やはり『サイドバック』では90分出続けることが使命だと思うので、その役割が果たせなくなってきたし、若手にポジションを譲ろうと思い、決めました」

愛媛のサッカー界でサイドバックと言えば、地元西条市出身の「長友佑都」。今回のカタール大会でも国内最多タイのワールドカップ4大会連続出場した鉄人だ。しかし、その長友も目標にした「駒野」はサイドバックをこう捉えていた。

「攻撃の起点にもならなければいけないポジションですし、ディフェンス、オフェンス、両方やらなければいけない。スタミナも必要になってきますけど、でも自分はここまでクロスを武器にやってきました。やっぱりサイドバックでも人それぞれ武器があるので、その武器を試合の中で見せてもらいたいなと思います」

今や複数のポジションをこなすことも珍しくなくなったJリーグで「職人」としてタッチライン際を駆け抜け、通算588試合に出場した駒野。長いサッカー人生最後の4年間を過ごしたFC今治でもJFL時代に29試合、J3で64試合にわたり、地元サポーターの心を揺さぶってきた。

「2018年にアビスパ福岡から契約満了の話になって、家族とも『サッカー選手として終わりに近づいているので、どのタイミングで引退するのか』と話をしました。そんな時、FC今治からお話をいただいて、サッカー選手としてこの4年続けることができました。本当に感謝の気持ちを忘れずにこの4年間やっていこうと思いましたし、若手に指導やアドバイスもやっていこうと思ったので、自分自身この4年間は役割を果たせたんじゃないかなと思います」

噛み締めるように当時を振り返り言葉を紡ぐ駒野。
ただ場所は記者会見場、記者の質問もいよいよ核心に迫る。