■復興の道に名付けられた「ヒロシマストリート」
イベントには、松山市に住む出口友子さんも、準備にかかわりました。
出口さんは、愛媛の特産品などを販売するライブコマースの会社を経営する傍ら、
イランの人々と交流しています。

イランとのかかわりは大学時代にさかのぼります。
映像を学ぶため広島の大学に進学した出口さんは2007年、医療支援に向かう「MOCT(モースト)」の撮影スタッフとして初めてイランを訪れました。

(出口さん)
「2007年のイランのあと、ミャンマーとかカンボジアとか、紛争地帯や災害の現場を撮影した。初めて海外に取材に行ったときに、“伝えなきゃいけないものがある”と感じ取ってしまった。自分の目で見る大事さがあった。どうしても紛争とか戦争って、日本にいると言葉は知っていても、そこにどんな苦しみがあって悲しみがあるのかって想像しきれない」
当時、イラン・イラク戦争の停戦からおよそ20年が経っていましたが、イランにはまだ戦争の爪痕が残っていました。
(出口さん)
「今みたいに緊迫しているわけではなかったが、直近で言うとイラン・イラク戦争が起こっているので、まだその傷跡が癒えていない街並みだった。陽気な人たちだけど、腕を見ると傷跡が残っていたりとか、けがをされてる方がたくさんいて、傷が癒えてないのは見たらわかるという時代だった」

出口さんが当時撮影した中で、印象に残った写真を見せてもらいました。

(出口さん)
「この写真私が一番好きな写真で、戦争で崩れた建物の跡がある。ここに新しいアスファルトの道路が完成した記念で我々が呼ばれた。この道路の名前が“ヒロシマストリート”」

まちのメインストリートにつけられた“ヒロシマストリート”。
イランの人たちにとって戦争からの復興の象徴だと、出口さんは語ります。
(出口さん)
「戦争から70年間は草木も生えないと言われた広島が、これだけ綺麗な街になった。その事実は、世界の人々にとって希望。この道路から、がれきの街並みを復興させていく。現地の人が『やっと光が差し込んだ』と表現していたのが印象的だった」








