子供のようにはしゃぐ素顔と、めっちゃお茶目な一面

倉本さんのお茶目な一面について、さださんは「だらけですよ(笑)。あの人どういう風に受け取られてるか分かりませんけど、めっちゃお茶目ですよ。すごく可愛らしいところいっぱいありましたよ。でもそれをあの苦虫噛み潰したような顔でね(笑)、出さなかったけどね。本当はギャグも大好きだしお笑いも大好きだし、お茶目な人でしたよ」と語ります。
例えば、さださんが京都を舞台にした小説を書いた時のことです。「倉本先生が『あれ読みたかったんだ』っておっしゃったんで、すぐ送ったんですよ。そしたらすぐ電話がかかってきて、『俺は京都に詳しいつもりでいたけど、お前よくあんなエピソード見つけたな』とかって電話かかってきて。その時に僕が種明かしをしたらふてくされちゃってね(笑)。『なんだ、つまんねえや馬鹿野郎』ってガチャッと切られましたけどね(笑)」というやり取りがあったと明かしました。
環境問題に関するエピソードも笑いを誘いました。「たくさんの人たちと一緒に自然保護のCO2の話をしてるときに『お前音楽書け』とか言われて、僕、歌を書かされてね。書いてみんなで頑張っているときにね、あの人がガソリンぶん撒くような車を買おうとしたんですよ。みんなめちゃめちゃブーイングでね、『何考えてんの!』とかって言われてるときにね、お嬢さんにエコカー買ってもらってましたね(笑)」と、倉本さんの素直に受け入れる一面を明かしました。
さらに、『北の国から』の曲を作った際、「今作れ」と言われた時が一番怖かったとしながらも、その時の倉本さんの姿が印象的だったと語ります。「最初に僕が『何でもいいから声出せよ』って言われて、『え、何でもいいの?』って『あー、あーあー』とか言ったら、『あ、出るじゃないか声。ちょっともう1回もう1回』『あー、あーあー』『いいじゃないかお前それで』とかって(笑)、あのやり取りのときにね、子供みたいな。自分自身がそのビデオ離れずにね、スタッフにやらせりゃいいじゃないですか、それを自分でこうやってやりながら『いいね、いいね』とか言いながら。あんときの倉本先生は子供みたい…もっとも、僕が20代でしたから、倉本先生も40代ですもんね」と、楽しそうに曲作りを見守っていた姿を振り返りました。 さださんは当時「500話までかけって言ったんですけどね、何話まで書いてくれてますかね。きっとあの後書いてると思うんですよ、必ず書いてます」と、さらなる作品への期待も口にしていました。







