富良野にラベンダーを足した功績と、背中を押してくれた「屈指の巨神」
さださんにとって倉本さんは「これは屈指の巨神でしたよ。僕の運命を変えたと言ってもいいんじゃないですか」という存在です。 「ちょうど放映が1981年からだったんですけど、歌を作ったのは80年の暮れなんですけど。言ってしまえば僕が中国に憧れて中国に行ってドキュメンタリー映画を作って、個人で28億の借金をしてた真っ只中だったですからね、あのドラマが始まったのが。あれは僕の背中を押してくれましたよ。『頑張れ頑張れ』って。お金に潰されなかったのは、やっぱり倉本先生と北海道のおかげじゃないですかね」と、絶望的な状況で救われた感謝の思いを語りました。
また、倉本さんが北海道にもたらした影響について、「子供の頃の僕らの北海道の名物と言うとね、マリモ、摩周湖、木彫りの熊だったんですよ。それにね、ラベンダーと富良野を足したんですよ。この功績は大きいですね」と力説します。 「一生懸命北海道の臍(へそ)とか言ってたあの時代から比べると、ものすごいメジャーな町になりましたよね。これはね、なかなか出来ないことですよ。北海道の宝物を2つも3つも足したんですから。それはね、経済効果から考えたらね、すごいことだと思いますね」と絶賛し、「劇作家としても素晴らしかったけども、それだけじゃないんだな。北海道、あの人本当に好きだったね。北海道生まれじゃないくせにね(笑)」と愛情たっぷりに語りました。 そして、「もっと倉本聰を称えてください、北海道の皆さん(笑)お願いします」







