日本そして海外を巡った「原爆の図」
1945年8月6日の原爆投下を受け、東京に住んでいた丸木夫妻は実家のあった広島へ帰り、1か月以上にわたり救護を手伝いました。
その目に焼き付けた惨状を伝えようと、二人は絵筆を取り、15点の連作「原爆の図」をかき上げました。

さまよう被爆者を描いた第1作「幽霊」(1950年2月発表)。炎に焼かれる人々を描いた、2作目の「火」(1950年8月発表)。
そして3作目「水」(1950年8月発表)など初期の作品は、GHQによる占領下とその直後の頃、原爆に対する批判が制限されていた中で国内約170か所で展示され、惨状を伝えるメッセージになりました。そしてその後、世界20か国以上で展示されました。

(丸木俊 1986年 名古屋・東区)
「広島を見ましたからね。こんな大変なことが二度とあってはいけないと思いましたから。もし地獄というものが本当にあれば、その地獄よりももっと恐ろしいでしょうね」











