戦時中、日本全国の動物園に猛獣の殺処分命令が出されました。そんな中、奇跡的に生き抜いたゾウが名古屋の東山動植物園にいたことを知っていますか?戦後そのゾウを見るために、日本中からこどもたちが“ぞうれっしゃ”に乗ってやってきたのです。長年埋もれていた動物園の史実を広く世に伝えたのは絵本でした。
全国の動物園に「戦時猛獣処分」命令 殺されなかった動物たちも餓死

戦時中、日本の動物園では多くの動物を殺処分した暗い歴史があります。名古屋市の東山動植物園でも同じことが起きました。

東山動植物園は1937年に開園。日中戦争で日本が世界から孤立し、太平洋戦争へと向かっていた時期です。当時としては珍しく、檻などを使わず自然に近い状態で動物を見られることが人気で、多くの人が詰めかけました。
開園から4年後の1941年、太平洋戦争が始まり徐々に戦況が悪化。名古屋では、空襲で建物の40%が焼失、死者は約8000人に上り、動物園も戦争に巻き込まれることになりました。
東山動植物園では戦時中、現在と同じ場所でライオンを飼育していました。

(東山動植物園・今西鉄也主幹)
「ここから鉄砲を持って(ライオンを)狙っているような猛獣の射殺訓練の写真が今も残っている」
訓練の後、全てのライオンは銃殺されました。

空襲で猛獣が逃げ出し、人に被害が出ることを防ぐため、国は全ての動物園に猛獣の殺処分を命令したのです。これが「戦時猛獣処分」です。
東山動植物園でもライオン、トラ、クマなど大型の動物が殺され、殺されなかった他の動物たちも餓死。戦前に1000頭以上いた動物は、終戦直後は22頭まで激減しました。
「ゾウだけは何とか救いたい!」 猛獣の殺処分命令に背いた園長

「戦時猛獣処分」が命じられる中、ゾウだけは何とか救いたいと立ち上がったのが北王英一園長でした。北王園長は軍などに対し「ゾウの足に鎖をつけて建物から離れないようにする」「うちのゾウはサーカス団にいたからおとなしい」と掛け合い、ゾウは殺処分を免れたのです。

当時、ゾウを救うのに協力した人は他にもいました。それが、千種警察署の署長だった大野佐長さんです。周りの反対を押し切って北王園長の頼みを聞き入れ、ゾウの殺処分を中止したのです。
大野さんがその後、CBCのラジオ番組で当時を振り返った肉声が残っていました。

(元千種警察署長・大野佐長さん)
「私と北王園長は『猛獣を殺せ』という軍のご命令を受けまして、ゾウとライオンとトラとヒョウは殺さないといけないと思っていた。ところがゾウだけは北王さんも『女(メス)だし年はいっているし、檻が壊れても人畜に支障を与えることはない』と。それなら2人で握手をして『残しましょう』と」

日本で戦争を生き延びたゾウは東山動植物園の「マカニー」と「エルド」の2頭だけでした。