シリーズ【にいがた昭和100年】
いよいよやってきた本格的な寒さ…。
雪国新潟の冬支度を振り返ります。
【記者リポート】
「これは消火栓です」
「雪が、どんどんどんどん降ってくると大変なので、まずこの目印があります」
「さらにもう1本ありまして、ぐーんと上まで伸びています」



1981(昭和56)年11月下旬の津南町です。

家の物置小屋では、冬を越えるための“食料”が仕込まれていました。

「あー、いい香りだ」
「塩強くしておくと、春まで何ともなく取っておける」

自分たちの手で収穫したワラビやシイタケなどを漬物にして、真冬の食卓を支えていました。

新発田市では、民家の軒下に薪が積み上げられていました。

「これね、薪ね。ストーブの」
「寒くなってね、今すぐってわけじゃないけど、間にあわないからね」
「いっぱい確保しておく」
雪国新潟ならではの冬を迎える大切な準備。
こうした重労働なしで暖かい冬は迎えられませんでした。
村上市の小学校では、石油ストーブを取りつけて冬支度。

上級生はストーブを運び、下級生達は排気の煙突を付けるお手伝いです。

新潟市では、タイヤチェーンの講習会も行われていました。

スタッドレスタイヤが普及する以前、1980年代には冬タイヤにチェーン装着をしている車もまだ多く見られた時代です。

「すみません。こういう掛け方で良かったですか?」
参加しているのは全員、運転初心者。
ジャッキの扱いに悪戦苦闘しながら、チェーンの取り付け方を学んでいました。
時代は変われど、日に日に寒さが増すこの時期には『冬支度』が急がれます。










