「この辺で教えるの辞めようかな」一筋に歩んできた編物人生に老いの影

教室は、生徒の作品発表会やファッションショーも開き、弘前市で抜群の知名度と人気を誇りました。ただ、時代が進み工場で製造された安くて多彩な既製品が出回るようになると手作りの編物は人気に陰りが見え始めます。藤田さんは2018年に繁華街にあった教室を子供の自宅へ移転。生徒は少人数ですが編物好きの憩いの場になってきました。

教室に通う 溝江ヒサヱさん(当時77歳)
「話をしにいく場所にもなっている。こういう場所はないよ、どこにも」

編物教室にかける藤田さんの情熱は変わっていませんが100歳を目前にしてさすがに体力は衰えてきました。外出するときは子供たちに車いすを押してもらい、助けてもらうことが多くなっていました。

こうした「家族の支え」があって、これまで一筋に歩んできた編物人生。そこにも老いの影は忍び寄ってきました。

藤田芳子さん(99)
編物をほどく藤田さん…
Q.いまなんでほどいたのですか?
「(編み物の)具合悪くいったから」

悩んだ末に藤田さんが心に決めたことは。

藤田芳子さん(99)
「いたらないところが多々でてきたので、この辺で教えるのは辞めようかなと」

編物教室を始めて70年の節目となる2023年に区切りをつけることにしました。