初出場したコンクールで特別賞を受賞、演劇の道
永田「認められたっていうのがすごく嬉しくて、演劇のえの字もまだわからないのに、高校演劇ですからね。でももうすごく楽しくて」

どっぷり演劇に夢中になってしまった永田は大学進学をやめ、就職をして、仕事終わりに地元・八戸の劇団で演劇に打ち込んでいた。
そんな娘の将来を心配した両親が、東京にある親戚の会社で働けと。永田に上京を進め、演劇との距離を離していった。

永田「東京に出てきて、演劇からはしっかり足を洗って。真面目になろうと思って伯父さんの会社にお世話になったんです」

その永田が仕事帰りに行く飲み屋で出会ったのが、チンドン屋をやっている女性だった。人手が足りないとその女性に言われるがまま、ピエロの格好をさせられたのが永田のチンドン屋の始まり。
永田「初日にギャラがもらえたんですよ。少なかったですけど。(劇団と)似たようなことをやってお金になるんだと思って。私はこれが向いてるかもしれないとちょっと安易に思って。それでその1週間後に会社を辞めるんですね」


本格的にチンドン屋に弟子入り。しかし、先輩と肩を並べてやっている自分の技量の無さに続けるかやめるか悩んだ。親方が病気になり、違う場所で再スタート。そこの親方を見て、チンドン屋として一生やっていく決意をする。
チンドンみどりや 村杉進との出会い
永田「もうその方が物すごい人だったんですよ。街に降り立つだけで華やかな。口上も見事だし、太鼓も爆音で素晴らしいんですね。この人みたいになりたいって思って私はこれを一生の仕事にしたいってそのときに思ったんですよ」

全日本チンドンコンクールでの優勝など数々の賞も受賞しているチンドン芸能社。
別の親方の元で修行した夫の久さんと2人親方体制で若手とともにチンドン屋の灯をともし続けている。


後輩は「ずっと見てますけど、パワフルでかっこいいなと思っています」
篠笛奏者 武田朋子さん「生きてるそのものっていう感じで、いつも何かチンドンされてて、その生きざま全てがステキで大好きです」

永田「よく村杉の親方が言ってたのは『店主の気持ちで街回り』って言ってましたね。この仕事をなくすなと言った親方の言葉を守っていきたいと思っています。
ありがたいことにチンドン芸能社には20代~30代の若手が6人ほどいて、私と夫がそれぞれの親方から教えてもらったチンドン屋という仕事を若い人たちにきちんと教えていきたい」

永田「天職についているので幸せです」

