県外で活躍する青森県民をご紹介するターニングポイント。人生の転機となったその時、どんな思いや決意があったのでしょうか?

今日のストーリーは弘前市出身・ボリウッドダンサー関本恵子(せきもと・あやこ)さん。インド映画に登場するボリウッドダンスはインドの古典的舞踊にヒップホップやフォークダンスなど様々な要素を取り入れたもので、現在、関本はダンサー兼インストラクターとして活躍している。


友達と毎日を楽しむ学生時代、吹奏楽や文化祭を楽しんだ。しかし明確な夢や目標は何もなかった。


関本「将来のことは本当に全く考えてなくて、高校のときもずっともう本当に出来損ないだったので、全然勉強をせず友達と一緒にいたりとかした」


周りや進路を考え出す頃、何も考えていない関本の様子を見た母親は海外という道を提案する。

関本「高3の秋ぐらいに母親がちゃんと別に将来やりたいことないんだったら海外行ってみたらみたいなことを言ってくれて。そこから高校卒業してオーストラリアの方に1年間行って」


ワーキングホリデーを利用し海外へ。出会った人たちがこぞって話すのがインドのことだった。青森に戻ってからもそのことが気になり、調べていたらいつの間にかその魅力にとりつかれていた。

■インド映画との出会い

関本「もう衝撃でしたね、その踊りが。大人数で合っていて、キラキラしてラフルだし。そこからもう1秒でもいいから何としてでも私はインド映画に出るっていうのを決めて。そこからインドに行き始めました」


インド映画の出演を目指し本格的にインドへ。そしてダンスの教室を探し習い始める。インドと日本を行ったり来たりの日々、ダンスのためには労力を惜しまなかった。

関本「本当にダンスやったことなかったので、あとインド映画のことに出るにはやっぱりインドのことを知らないといけないと思ったので、行ってないところへとにかく旅行とダンスの日々」


そんな中、日本へ一時帰国をしようとした際、飛行機が欠航となったため急遽ホテルへ行った関本。相部屋となった場所で出会ったのは、演技の学校に通っていたインド人女性だった。

関本「その1日飛行機が遅れて、同じ部屋で過ごしたおかげで、その演技の学校をそこで紹介してもらえたんですね。(インドで)すごい有名な俳優さんが主催されてる演技の学校なんですけど、もうその時点でまた最終日にそこに行くっていう決心をして。日本へ帰って、また3回目のインドでそこの俳優養成スクールへ通いました」


3回目のインドで有名な演技学校に通い始めると、そこにインド映画界ボリウッドダンスの巨匠が存在した。

■ダンスの巨匠と映画出演

関本「インド映画の巨匠の振付師の方がいて、サロージ・カーン作さんっていう人がいた。普通に毎日、月曜から金曜までで1日2時間ずつスクールに通っていて、彼女も忙しかったんですが、たまたまに見に来てくれてて。彼女にもしよかったらいい機会だから映画に出てみないかって言われて、そこでその時に初めて夢が叶いました」


2012年。東京国際映画祭でも上映された「Agneepath(炎の道)アグニパース」で念願のバックダンサーデビュー・その後何本ものインド映画に出演。そして2016年には自身がプロデュースするおボリウッドダンスグループ「Chakrikaチャクリカ」を結成。弘南鉄道(青森県)とのコラボレーションなど、地元への思いも忘れていない。

関本「今が人生のピークだとは思ってないので、もっとやれることはやっていきたいともちろん思ってるんですけど」

夢にさまよっていた少女は、夢のその先を歩んでいる。

関本「青森でも世界中でもいろんなとこに飛び回って、踊りをずっと続けていくことです。自分の人生を作ってくれたもの。ボリウッドダンスがなかったら私の人生は何していたかわからない」