アメリカ軍の攻撃で青函連絡船が撃沈されて多くの犠牲者を出してから14日で80年となります。青森市では平和を願う集いが行われました。
第2次世界大戦末期の1945年7月14日。
当時、物流の大動脈であった青函連絡船12隻がアメリカ軍の攻撃によって青森湾で撃沈しました。犠牲となったのは131人に上ります。
津軽海峡には、今も3隻の青函連絡船が眠っています。
14日の集いは「青森空襲を記録する会」が毎年行っていて、青森駅前の八甲田丸近くに建てられた記念碑を前に、関係者約20人が折り鶴を手向けました。
青森空襲を記録する会 今村 修 会長
「遺族会は高齢化を理由に、青森の場合もうなくなってしまった。年が経てば経つほど語り継ぐっていうのが大変な時代になってきている。しかし、やっていくことに大きな意味がある。これからも(語り継ぐ活動を)やっていきたい」
青森空襲を記録する会では、遺族や関係者の高齢化が進むなか、悲劇を風化させまいと平和の集いをこれからも継続していくとしています。