詩人・谷川俊太郎さん 青森県との縁

谷川俊太郎さんは11月13日午後10時過ぎ、老衰のため、東京・杉並区の病院で亡くなったということです。92歳でした。

東京都出身の谷川さんは10代の頃から詩を書き始め、1952年に「二十億光年の孤独」でデビュー。「生きる」、「朝のリレー」などは国語の教科書にも取り上げられ、親しみやすい言葉による詩が、幅広い年代の人に愛されました。

1963年に撮影された1枚の写真―。
同じく詩人で、劇作家の寺山修司の結婚式に出席しました。

言葉を生業にするもの同士、交流は深く、1983年に寺山が亡くなった際には葬儀委員長を務めました。

過去には青森県にも訪れ、詩にリズミカルな曲をつけたライブを行い、会場をわかせていました。

また、各地の学校の校歌などを手がけ、そのうちの1つが「弘前中央高校」の校歌です。学校によりますと、1969年に谷川さんが作詞した校歌が採用されました。

ただ、いま歌われている校歌とは違います。

実は、谷川さんは2000年に校歌を書き換え、現在歌い継がれているのは谷川さんが作詞した『2代目』の校歌です。

いずれも学校側の依頼で実現したということです。葬儀はすでに執り行われていて、今後、お別れの会を予定しているということです。