能登半島地震で、活動の拠点を山梨に移した日本航空高校石川の野球部がセンバツ高校野球大会の出場を決めました。慣れない環境の中再始動した選手たち、支援の輪も広がっています。

<先週金曜日(1月26日)>
張り詰めた空気の中、その時は訪れました。

<センバツ発表の瞬間>
センバツ甲子園出場を決め、感情があふれ出た日本航空高校石川の野球部。

日本航空高校石川 野球部 寳田一慧主将:
「目標だった甲子園の舞台で戦えることに感謝の気持ちを持って全員1つになり頑張る」


中村隆監督:
「元旦からこんなことになるとは思っていなかった。みんなの思いを乗せて思い切って頑張っていきたい」

選手たちが流した涙には理由があります。



今月1日に発生した能登半島地震。
最大震度7を観測した輪島市に日本航空高校石川はあります。
校舎に大きなひびが入り、水道は使用できず学校生活が送れない状態です。

寳田主将:
「それが現実かわからないくらいひどかった。その気持ちを整理するのに時間がかかった」

そんな選手たちに手を差し伸べたのは、学校法人が同じ甲斐市の日本航空高校です。


日本航空高校は4月から約600人の石川の生徒を受け入れることを決め、野球部は秋の北信越大会でベスト4に入り、センバツ出場の可能性があったため、ひと足先に生活の拠点を移しました。


猶明光絆選手:
「野球をしたかったが地震がありできなくて心配だった。すぐに慣れていち早く、いつも通りの練習ができるように頑張る」

山梨に入ったのは部員67人のうちマネージャーを含めた32人で、空いている教室に段ボールベッドを並べて共同生活を始めました。


「地震で会えないさみしさもあったから、また仲間と集まって楽しくやっている」「先輩とはいつもは違う部屋だが今は同じ部屋でコミュニケーションが取れてまとまれそう」

慣れない生活。それでも、仲間と一緒の生活を楽しみ、前を向きます。


震災から3週間。

「絶対感謝の気持ち忘れず全員明るく元気に前向きにしっかりやっていこう」

富士川町が管理する旧増穂商業のグラウンドで1か月ぶりに全体練習が再開しました。


「(ランニングが)きつかった」
「楽しいです」

そして迎えたセンバツ高校野球出場校発表の日。

吉報が届きました。

(選考委員会)「日本航空石川高校を選出しました」

4年ぶり3回目の出場
被災した母校からメッセージが届きました。


日本航空高校石川 青木洋介校長:
「能登空港キャンパスは我々で守るので、野球部のみんなは甲子園で思いっきり暴れてきてください」


中村監督:
「少しでも元気な姿、一生懸命やってるところを選手たちには思い切ってやってほしいし、そういうところを届けられればと思う」


翌日、選手たちを練習場がある富士川町の職員が祝福します。


富士川町には野球部への支援の申し出が数多くの団体から寄せられ、この日は地元の薬局がウォータージャグや消毒液、救急箱など、練習に不足していたものを寄付しました。

井上薬局 井上智子さん:
「選手が少しでもいい環境でセンバツに向かえるように応援したい」

山梨からも広がる支援の輪。選手たちもより一層、練習に熱がこもります。

練習後に富士川町が豚汁の炊き出し


「野球のあとに食べる豚汁が一番おいしい」
「感謝して食べたい」

富士川町政策秘書課 秋山博之さん:
「被災して山梨に来て違う環境でやっているので、とにかく笑顔になってもらいたい」


寳田主将:
「モチベーション上がって、いい雰囲気でやれている。いい環境でやらせてもらっているし、野球ができることに感謝して頑張りたい。」

被災地に希望の灯を届けるため日本航空石川は春の甲子園に向け、飛び立ちます。














