息子の死が教えてくれたこと
瀬戸内寂聴さんの言葉に「私たち人間は生まれたときから死という種を体内に抱えている果実のようなもの」というものがあります。人間は生まれてきた以上必ず死を迎えます。これはみんなに平等に与えられてきているものです。でも私は理不尽に命を断ち切られる死ということをとても認めることはできないと思っています。
皆さんは自分が突然死ぬということを考えたことはありますか。また、家族や友達が突然死んでいなくなってしまうことを考えたことがあったでしょうか。どちらかというとそんなことは考えたくはないですよね。私もいままで正直なところ自分の子供が自分より先に死んでしまうなんて、そんなことは考えたことありません。だからそんなことを想像したことすらありませんでした。
テレビや新聞で子供の命が奪われるようなニュースを見ても、かわいそうだなとは思いましたが、どこか他人事のように考えていた気がします。でも現実にそうなってしまってからというもの、明日という日が来るのは決して当たり前じゃないと思えるようになりました。貴弘のお墓は、私の家の近くの山の中腹にあります。亡くなってから3か月後に建てました。子供が自分より先にお墓に入るなんて、ほんとはあってはならないことです。子供が親より先に亡くなることを「逆縁」というのですが、本当なら私たち親が先に入って後から子供を迎えてあげるはずなのに、この逆縁ほどつらいものはありません。
私は貴弘が一人でお墓に入るのは心細いのではないかなと思い、お墓の横に、小さいときから好きだったポケットモンスターのピカチュウの石像を作って横においてあげました。この場所は高台なので、私の住んでいる福井市内が見渡せます。ここからは家や小学校や中学校、おばあちゃんの家、そして私の職場まで見えました。ここならきっと大丈夫、寂しくないと思ってこの場所にお墓を建てることに決めたのです。毎月13日の月命日には、お花と貴弘が好きだったお菓子をもってお参りに行きます。おじいちゃんおばあちゃんも毎月ここに来てくれていましたが、おじいちゃんはいつの間にか貴弘の元に行ってしまいました。歌にあるように、千の風になってここにはいないかもしれないけれども、それでも私はここに来ると貴弘と会話ができるようなそんな気がしています。
息子を亡くした母が伝えたいこと
皆さんのこれからの人生はまだまだいろんなことがあります。その中では楽しいこと辛いこと、悲しいこと、逃げ出したい、死んでしまいたいと思う事さえあるかもしれません。もしそんなときが来たら、生きたくても生きられなかった子供たちがいるという事を思い出してください。そしてその子たちの思いをつなげていってください。
人間には犠牲になっていい命、奪われてもいい命、自ら断っていい命なんて一つもありません。なぜなら、その命には親、兄弟、家族、友達との多くの命のつながり、それぞれの夢や希望があるからです。
そして、きょう私が話したことは、皆さんにとって、ちょっと衝撃的だったかもしれません。私にとっても、こうやって話をすることはとても勇気のいることです。でも被害者や遺族の実情を知ること、伝えていくこと、そして考えてみるということの大切さを皆さんにわかっていただけたら嬉しく思います。

















