“あのどんぶり”が好きだった⁉

<牧野克彦アナウンサー>
学生時代から日本に来て、苦労したことも多かったのではないでしょうか。

<フェービー・ヤオ選手>
1番苦労したのは言葉の違いかな。最初に日本に来た時は、日本語の能力はほぼゼロの状態で、あいさつでさえも“ギリギリアウト”のレベルでした(笑)。食べたいものも注文できないほどだったので、カツ丼ばかり食べていました。

なぜなら、知っている日本語がカツ丼だけだったから。当時、周りのプロのみんなは「フェービーはカツ丼好き」というイメージを持っていたと思いますよ。

ばっちりメイクは日本で覚えた

<牧野>
げん担ぎで「勝つ」とかけてカツ丼を食べる人はいますが、知っている日本語がカツ丼だけなのでカツ丼ばかり食べていた人は初めて聞きました。以前取材させてもらったとき、夕食は試合会場の近くにあるファミレスで1人で食べている、と話されていたのが印象に残っています。プレッシャーがかかる試合の合間も、全国各地を1人で移動して、1人で食事。孤独との戦いもあったでしょうね。台湾と日本で、試合時に違いはありましたか?

<フェービー>
台湾と大きく違う習慣は、日本では選手が試合の時にしっかりと化粧をすることですね。台湾の選手は日焼け止めだけ塗ってプレーする選手が多かったので、日本に来た時には驚きました。女子プロみんながキレイな化粧をしていたので、私も日本に来てから化粧を勉強して、いまでは化粧をしていないと家を出られないくらいのレベルになりましたよ。来日して化粧を覚えて、フェービーの名の通り、“月の女神”になれたのかもね。

<牧野>
フェービーさん、トークも面白いので「笑いの女神」にもなれそうですね。日本でのゴルフで最も思い出に残っている場面を教えてください。

<フェービー>
1番思い出深いのは、まだ、アマチュアだった2009年と20210年に、推薦をいただいて出場したサントリーレディスです。その頃から日本ツアーに憧れて、日本ツアーで勝負したいという気持ちが湧き、がんばりました。