JR信越線沿いで発見した高さ3m程の鳥居には、関係者でしょうか「白井弘」という名前が彫られていました。
鳥居の近くにある石材店で話を聞いてみました。
「白井弘さんってご存じですか?」
【白井信幸さん】
「私に対しておじさんですね」

こう話してくれたのは、白井弘さんの甥である信幸さん(83歳)です。
信幸さんによりますと、明治時代に町の守護神として群馬県から長岡市に神社がやってきたそうです。
大正時代に神社は道路の開通に伴って移動。
その後も神社は転々と場所を変え、1974年には上越新幹線の工事によって現在のこの場所に移動しました。
【白井信幸さん】
「神社はここら辺にあったのかな。道路ができてから移したんだわ。それで移したのは新幹線の下だわ」

この鳥居は、神社が2度目に移転した1963年に、弘さんが記念に寄贈したものでした。
【白井信幸さん】
「町内のために何とか栄えるように少しでも力になればいいかなと」
弘さんは1965年に亡くなるまで神社を管理し、その後は信幸さんが引き継いだということです。
【白井信幸さん】
「町内の役員と町内の人がお参りに来ていた…」