父を追いかけ14歳で花火師の道に入った嘉瀬さん。

1951年に父の誠喜さんと、戦後初めて『三尺玉』の打ち上げを成功させます。
市内を流れる大河・信濃川にかかる長岡市のシンボル“長生橋”を生かした仕掛け花火『ナイアガラ』を提案したのも、嘉瀬さんでした。

そんな嘉瀬さんは、長岡花火の発展に多大な貢献をしたとして、2016年に長岡市民大賞を受賞しています。

嘉瀬誠次さん
「きょうの感激そして今までお世話になったことは、死ぬまでは、死ぬまで忘れません」

嘉瀬さんが、美しく迫力ある花火を通して訴え続けたのは平和の大切さでした。

嘉瀬誠次さん
「同じ火薬でもきれいに人を楽しませるのと、爆弾とか砲弾とかでもって人を殺したりするのとじゃ雲泥の差ですね。空みてパカーンと口を開けてさ、あーきれいだなという瞬間、それが貴重な瞬間だね。人間その気持ちになっていれば争いごとも起きない」 

長岡市の磯田達伸市長は、市の職員時代に、嘉瀬さんとともに「スターマイン」という名前を考えたそうです。

磯田達伸 市長
「嘉瀬さんは長岡花火の生みの親で、そして育ての親だっと思います。心から本当に『ありがとう』、『ありがとうございました』と申し上げたいと思います」

家族によりますと、嘉瀬さんは14日午前2時過ぎ、老衰で亡くなったということです。101歳でした。