めぐみさんの拉致から46年―

拓也さんは奪われた時間の大きさとその切なさを、言葉を選びながら口にしました。

「もし姉のめぐみに北朝鮮による拉致事件が起きていなければ、どれだけ充実した明るい人生が彼女にもとにあっただろうかといつも思います」

「高校に進学、大学に進学、会社に就職して、自己実現をして。恋人ができて家庭を持って、子どもを授かる。そんな“普通”の、と言っては言葉を選ばなければなりませんが、”普通の人生”を歩めていたはずの人生を、一瞬の暴力によって、北朝鮮の工作員たちによって奪われたわけであります」

今から21年前の2002年、北朝鮮は初めて日本人の拉致を認め、その年の10月には曽我ひとみさんや蓮池薫さんら5人の拉致被害者が帰国を果たしました。
しかし、その中にめぐみさんの姿はありませんでした。このとき北朝鮮はめぐみさんの”死亡”を主張し、現在も「拉致問題は解決済み」という姿勢を崩していません。

「曽我ひとみさんを含む5人の方々が、羽田空港に降り立った飛行機のタラップから降りてこられたとき、事前にその飛行機の中には姉・横田めぐみがいないことは聞かされていましたが『もしかしたら一番最後にめぐみが降りてくるかもしれないんじゃないか』というなんの根拠もない期待を抱きながら、私も(めぐみさんの弟で、双子の)哲也もサラリーマンでしたから、営業車に乗りながらラジオで聞いていたことを思い出します」

「(5人が)やっと帰ってこられたという嬉しい気持ちと、なぜめぐみが帰ってこられないんだという悲しさと悔しさで涙がとまらず、運転をすることが出来なくて、側道に止めて泣いていたことを今でも思い出します。嬉しい気持ちと辛い気持ちが錯綜して、心の整理ができなくなったのが当時の思い出です」