「血が流れてきて羊羹のように固まって」死刑執行が当日告知になったきっかけを目撃した元死刑囚
太平洋戦争の戦犯が処刑された巣鴨プリズンの跡地には高層ビルが建つ。
ビルが見下ろす広大な霊園の片隅に、無縁仏になった死刑囚たちの納骨堂がある。供養に訪れるのは拘置所の職員たちばかりだ。

免田栄さん(1983年)
「自由社会に帰ってきました」
1948年、熊本県人吉市で起きた祈祷師一家殺傷事件で死刑が確定。34年間、死と隣り合わせだった免田栄さん。
83年、死刑囚としては初めて再審無罪となった。免田さんは3年前に亡くなったが、生前、私たちの取材を受けていた。

故・免田栄さん
「1時間か2時間ですね。ぐっすり眠れるのは。今でも(刑場の)綱が夢に出てきます」
拘置所内で作業する免田さんの映像だ。あまり緊張は感じられない。

当時、死刑の宣告は2日前だった。刑場に向かう死刑囚同士が最期の挨拶もしていたという。
故・免田栄さん
「各舎房を回って挨拶して。今日いきますから、お世話になりましたと。こちらはそれに対応するだけの言葉はないです」
死刑が当日告知になったきっかけは、免田さんが目撃したある事件だった。隣の独房の死刑囚が執行の前の夜、自殺したのだ。
故・免田栄さん
「居房の入り口に下駄箱があって段差があるんですが、それに半分ぐらい血が流れてきて羊羹のように固まっていました」
この事件以降、死刑の告知は当日行われる様になった。しかし、不服申し立ての時間が与えられないのは憲法違反だとして死刑囚が提訴している。