新潟県長岡市山古志地域で行われている『中越地震』の追悼式典会場では、地震発生時に合わせて午後5時56分に黙とうが捧げられ、山古志地域の小中学校に通う、児童や生徒によりメッセージが読み上げられました。

中越地震から19年目となる23日に、当時の山古志村の皆さんに中越地震についてお聞きしたところ、“全村避難”の辛い思い出とは別に、人々とのつながりや故郷への思いを強く印象付けられました。

「大変だったね、戸が開かなかったよ」など、今でもたまに地震当時の話をするという女性は「家族みんなで生活しているから良かったです。今は幸せ」と、終始笑顔で答えて下さいました。

【山古志コミュニティセンター センター長 齋籐末松さん】
「こういう狭い所なので人との繋がりは非常に強いと思う。人が一番大事だなと」

山古志で生まれ育って80年だという女性は、9人家族で避難生活を送っていたそうです。地震の影響で家は27cmも傾き避難所から家の様子を見に来るたびに涙が出てきたということですが、「山古志が好きだから、ずっとここにいる」とおっしゃていました。

当時役所に勤めていたという男性は、家が全壊したとはいえ「人との繋がりがあったから、避難生活も乗り越えられた」とお話ししていました。

地震が起きた時は中学2年生だったという男性の方も、人との繋がりがあったから「避難所生活は楽しかった思い出がある」と話していて、山古志の皆さんは一様に「人との繋がり」が強く深いからこそ、中越地震による“全村避難”を乗り越えて山古志に戻ってきたんだと言っています。

今年10月1日時点で山古志の人口は750人。中越地震が発生した2004年当時の山古志村の人口から6割ほど減少していますが、この美しい山古志の景観を守り、人と人とを繋いでいくために、今後も伝え続けなければいけないと強く感じました。