このとき、松江に飛行場は要らないと判断された理由・・・
それは、現在ゴルフ場になっている米子飛行場の存在でした。
1938年(昭和13年)開港の米子飛行場は、朝鮮半島や旧満州国への路線もあった国際空港でした。
戦後、アメリカ軍が撮影した航空写真には、滑走路なのか2本の直線が見えますが、こちらも結局、飛行場としては復活しませんでした。
松江市に住む男性が、戦後の松江飛行場の姿を覚えていました。
今井隆良 さん(83)
「宍道湖で水泳をしているときに飛行機が降りて来た。水の上を走る飛行機なんて珍しいなあと思った。」
小林忠夫さん(82)
「飛行機が停まってる。模型の大きなやつだなっていう感覚でね、憧れだったもんだね。」

終戦が小学校1年生の時だったという2人の男性によりますと、戦後も何らかの理由で飛行機が飛ぶことがあったようです。
1949年頃(昭和24年)の写真では、まだ格納庫があります。
しかしその後、天神遊園を貫くように宍道湖大橋と道路が造られ、周りが白潟公園として整備されるなどして、施設は撤去されたと考えられます。

一方、1960年代には2年間、宍道湖と隠岐・西郷湾との間で飛行艇が不定期運航したこともありました。
宍道湖は魚介類だけでなく、かつては交通路としても様々な恩恵を私たちに与えてくれていたようです。