島根県松江市は、県庁所在地なのに空港がありません。
しかし、水の都という地の利を生かし、かつては市内のど真ん中に飛行場があったことが、古い地図で分かりました。


入江直樹 記者
「戦前の松江の地図を見ていたら、松江飛行場っていうのがあったんです。どうもこの辺なんですけど、全く痕跡は見当たらないですね。」

1936年(昭和11年)の地図。
飛行機の絵と共に「大阪・城崎・隠岐間航空路」と書かれています。

かなり地形が変わっていますが、現在の島根県立美術館の北側、白潟公園の辺りのようです。

1936年の地図


松江市の松江城・史料調査課専門調査員の高橋真千子さんに地図を見てもらうと・・・。

松江城・史料調査課 高橋真千子 専門調査員
「こちらは水上飛行機の飛行場になりますので、今現在、何も痕跡が残っておりません。」

高橋さんが見せてくれたのは、車輪ではなくフロート。
つまり、浮きが付いていて、水の上を滑走して飛び立つ水上飛行機の写真です。

水上飛行機 提供:松江市


コロナ禍で現在は運航休止中ですが、2018年に中海で始まった遊覧飛行と同様、水の都という地形を生かした空の旅が、90年近く前にもあったとのこと。


高橋さんの研究によりますと、宍道湖では、1931年(昭和6年)10月に日本海航空という会社が試験飛行し、兵庫県北部の城崎と松江の間を1時間半ほどで結んでいました。

この時の、白い胴体の城崎号は翼が2枚の複葉機で、胴体の上に吹きさらしで操縦士が乗り、乗客は5人程度だったようです。

松江城・史料調査課 高橋真千子 専門調査員
「城崎・松江間で運賃が15円ほどしました。議員さんですとか、あと観光客ですね、裕福な商家の人ですとか。」

当時の15円は、現在のおよそ4万円に相当します。

城崎側で撮られたと見られる写真には、ブーメランのような立派なひげを生やした人物や勲章を着けた軍人が写っています。

水上飛行機「城崎号」 提供:松江市


現地を確認しようと、再び白潟公園へ。

松江城・史料調査課 高橋真千子 専門調査員
「(写真と見比べて)あっこの辺ですね。嫁ヶ島が同じような角度で見えてますね。こちら元々宍道湖だったんですけれども、埋め立てをしまして、遊園地というか公園として市民に親しまれていた場所でした。」

アメリカ軍が戦後の1947年(昭和22年)に撮った空中写真では、半分陸続きになっていますが、人工的な地形や格納庫の存在を確認できます。

松江飛行場はここに1932年(昭和7年)7月に開設され、湖との間に滑走台というスロープを造り、飛行機を水面に下ろしていたようです。

翌1933年(昭和8年)には、毎週水曜日、1往復の定期運航に。

さらにその翌年には、新たに松江号という飛行機が加わり、利用は順調だったことがうかがえます。

松江城・史料調査課 高橋真千子 専門調査員
「赤い胴体に黄色の翼です。誰でも飛行機乗れるというわけでもありませんでしたし、空からの眺望を見る機会がほとんどありませんでしたので、眺めを楽しむためにこういった窓が作られたんだと思います。」
 
1935年(昭和10年)のダイヤでは、大阪を午前11時に出発、城崎を経由し、午後2時半に松江に到着。

帰りは、鳥取の湖山池に寄って、午後4時半、城崎に戻りました。

日本海航空による山陰路線


また、松江から隠岐・西ノ島へも運航を始めていたほか、宍道湖を埋め立てて陸上飛行機の飛行場を造る計画もあったといいます。

しかし、1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発すると、軍事優先のためか、民間航空のローカル路線は運航中止となりました。

松江城・史料調査課 高橋真千子 専門調査員
「戦後は主流が陸上機になりましたので、水上機はもう取りやめになってしまいました。」