先月、ガザから来日した中学生の3人。そのうちの一人、生まれて初めてガザから出たジャーナリスト志望のジェナーンさん14歳。帰国直前に紛争が始まったため、ガザに戻れなくなりました。

帰れなくなったガザの子どもたち 来日中にイスラエルと衝突

衝突が起こる1週間前。ガザからやってきた3人の中学生がいました。
UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関の支援で来日した避難民の子どもたちです。

周囲を壁で囲われ、人や物の行き来が厳しく制限されているガザは「天井のない監獄」と呼ばれています。

200万人以上の住民のほとんどは、壁の外に出ることはできません。

ガザ地区からの中学生 ジェナーンさん
「14歳です。包囲網を破って私たちにとって初めての旅なので、ワクワクしている」

10月5日。3人の姿は広島の原爆資料館にありました。

ジェナーンさん
「ガザで起こった事を思い出した。子どもたちが、子どもなのに、どうして」

78年前の広島が、ガザの街並みと重なります。
これまで4回の戦争を経験したジェナーンさん。展示から目を背けませんでした。“夢”があるからです。

ジェナーンさん
「ジャーナリストになりたいと思う。メッセージを伝えるために。ある日、男の子に夢を尋ねたら『学校に通うこと』でした。それは夢ではなく権利です。私はこの苦しみを世界中に伝えなければならない。ガザは広島と同じ苦しみを経験しましたが、広島はすぐに復興しました。私たちはここでの経験を学び、それをガザのみんなに伝えたい」

見学の最後には地元のジャーナリストと記念撮影。
しかし、ガザに帰る前日のことでした。

幸い、ガザにいる家族の無事は確認できましたが、ガザは封鎖され、戻ることはできません。家族からも戻って来ないでほしいと言われたそうです。

ジェナーンさんら3人はガザに戻ることを諦め、ヨルダンに滞在することになりました。

ジェナーンさんのSNSより(10月12日の投稿)
「これは家族の声を恋しく思うパレスチナ人難民の子どもから全世界へのメッセージです。ガザは今、破壊されています。私がガザに戻っても、家がどこかわかりません。何もかもが破壊されています。(ガザを助けてくれない)あなたたちを私は許さないことを伝えておきます」