『ほんまかいな』っていう武功で家康に…
富山市郷土博物館 萩原大輔さん:「彼は歌がすごくうまかった。歌がうまいっていうのは『あ~♪』じゃなくてですね、五七五七七がすごくうまかった。連歌の世界ですごく卓越した人だったんですね」
新右衛門さんのモデルとされる親当は、一休さんと同時代を生きた一流の文化人でもありました。

富山市郷土博物館 萩原大輔さん:「江戸時代には一休さんと歌のやりとりをしているっていう、そういう物語がたくさん出版されたりするんですね。そういう中で一休さんと新右衛門さんがすごく仲良しっていうのがイメージとしてついてきて、テレビアニメの一休さんにつながっていくんじゃないかと」
しかし、仕えた足利家が衰退し、戦国時代の蜷川一族は東北から四国まで散り散りに…。苦難の時代を送ります。そんな衰退した蜷川家を再び表舞台に引き上げたのが、日本史上最も有名な人物、徳川家康です。

関ケ原の戦い(1600年)後、土佐では、家康側に負けた長宗我部家の家臣たちが浦戸城の明け渡しを拒否。その城を奪い返したのが、当時土佐にいた蜷川親長(ちかなが)らでした。

富山市郷土博物館 萩原大輔さん:「50騎ぐらいのすごく少数の兵隊でお城を奪い返したっていう『ほんまかいな』っていう武功を立てるんですね。それが徳川家康に認められてですね『俺の家臣にならないか』っていう風にスカウトされて、なんと徳川将軍家の直臣に復活する」