関越道の役割

2004年10月23日の夕方に発生した新潟県中越地震で関越自動車道は六日町 IC~長岡 JCT間の広範囲にわたり、車線全体が崩壊するような多種多様な被害が発生しました。

被害箇所数は約 2,000 箇所が確認されましたが、JH日本道路公団北陸支社は発災から約19時間で「緊急交通路」を確保して約13日後に一般開放、冬前までには全線を確保しました。

一方、この地震で計8両が脱線した東京発新潟行き「とき325号」は11月18日になってようやく事故車両は撤去され、12月28日に運転が再開されました。
関越道が新潟県民にとって欠かすことができないライフラインであることを証明した出来事でした。

全通から38年

新潟と東京が高速道路で結ばれるという「関越自動車道開通」という出来事は、新潟県の歴史の中でも最大級の特筆すべき出来事だったのではではないでしょうか。
しかし、かつて言われた「裏日本」と「表日本」の格差はその後是正されたのでしょうか。明治時代に“人口日本一”の時期もあった新潟県ですが、首都圏へエネルギー、食料、労働力を供給するという構図はこの100年間変わっていないのではないでしょうか。