全日本実業団陸上が9月22~24日、岐阜市の岐阜メモリアルセンター長良川競技場で行われた。大会2日目の男子100mにはリオ五輪4×100mリレー銀メダルメンバー3人が出場。リオで1走だった山縣亮太(31、セイコー)が1組1位(10秒26・+2.4)、2走だった飯塚翔太(32、ミズノ)が2組1位(10秒08・+3.2)、3走だった桐生祥秀(27、日本生命)が3組1位(10秒20・+0.7)と各組1位を占めた。8月の世界陸上ブダペスト200mで準決勝に進んだ飯塚、今月23日に開幕したアジア大会陸上競技100m代表の桐生、そして昨年ヒザを手術した山縣と、リオ五輪銀メダルメンバーの現在地を紹介していく。

東京五輪後では初めてピーキングをした大会

まずは山縣である。3人のうちただ1人決勝を走ったが、10秒28(±0)で東田旺洋(27、関彰商事)に0.12秒差の2位という成績だった。決勝レース後の山縣からは、反省の言葉だけが続いた。

「すごく意気込んできた大会なんですが、この結果には満足できません。このくらいのタイムでは日本でも、世界でも戦えないです。大会前は中盤の(加速局面からトップスピードへの)つなぎをしっかりすることが大事だと思っていたんですが、(大会1日目の)予備予選のスタートが遅すぎました。(2日目の)予選、決勝はわりとスタートは良かったのですが、中盤以降、トップスピードを作るところが乗り切れませんでしたね」

山縣は21年6月に9秒95(+2.0)の日本新をマーク。12年ロンドン、16年リオジャネイロと、五輪は2大会連続で準決勝を戦った。2大会とも自己新をマークし、日本選手としては異例の勝負強さを見せた。7月末からの東京五輪では日本人2人目、戦後初の決勝進出が射程圏内に入った。

だが山縣には以前から「右脚の使い方に問題があった」(高野大樹コーチ)。東京五輪は10秒15(+0.1)で自身初の予選落ち。公の場で感情は見せないタイプだが、失望は大きかったはずだ。

五輪後には右ヒザの手術に踏み切り、翌22年はレースには出ず、リハビリトレーニングに徹した。そして今年4月に復帰し、日本選手権出場のための標準記録は破れなかったが、徐々に記録を上げてきた。高野コーチによれば、「東京五輪後初めてピーキングを行った」のが今回の全日本実業団陸上で、山縣自身も10秒1台前半を目標としていた。「東京五輪までの練習とは内容が、技術的な部分も含めてまったく違いますが、それが(東京五輪と同じレベルの)成果になってくれば、その先につながる自信になる」と考えていた。

だが、結果は10秒28。追い風が吹けば10秒1台が出ていたかもしれないタイムだが、細かい数字にもこだわるのが山縣だ。優勝を逃したこともあって、自身の走りを復調したと評価できなかった。