【編集後記】取材をした坂本明優記者

「あの日から6年。生きているからこそ、これからも南三陸を撮り続けます」

私は、香川県高松市出身です。震災当時は16歳。高松市の高校1年生でした。被災はしていません。テレビで津波の映像を見て、衝撃を受けた記憶がありますが、「どこか遠い場所での出来事」という感覚も正直ありました。

震災から数ヶ月後。私の高校では、大津波によって甚大な被害が出た、宮城県南三陸町のカメラマンによる講演会が開かれました。震災前と後の写真を見比べる中で、住民の日常が奪われたことの悲惨さを感じるとともに「いつか現地に足を運び被災地について詳しく知りたい」と思うようになりました。

大学に進学してから、南三陸・気仙沼・石巻・女川・名取など沿岸部をまわりました。行く先々で出会った住民の方々からお話を伺い、被災地を知ることに努めました。

冒頭に掲げた言葉は、震災から6年の節目に再会した南三陸町のカメラマンの言葉です。風化が進む中「写真を通して後世に語り継いでいきたい」。並々ならぬ決意の表れに、感銘を受けました。

いつしか私自身も、微力ながら「被災地に貢献したい」と思うようになりました。故郷を離れ、2019年にTUFに入社すると、記者としてではなく「住民」として県民に寄り添うことを心がけてきました。

今回は、私の記者人生の「原点」とも言える宮城県の被災地での取材でした。震災当時、幼かった子どもたちが「語り継ぐ」という使命感を持って活動をしている姿に胸が熱くなりました。

カメラマン、語り部、記者。それぞれ立場は違いますが、東北の復興に向けて何か行動を起こしたいという気持ちは同じです。今後も、自分らしく福島を取材し、伝えていきます。