無神経になってしまっていた自分が一番怖かった

戸祭さんが母親や姉たちと水にぬらした布団をかぶって逃げ、九死に一生を得た高松空襲。

わずか106分の間に旧市街地の80%が焦土と化し、1359人の市民が犠牲になりました。

(戸祭恭子さん)「死体を見たって怖かったというよりは、

もう死んでる人見たら、『わあ死んでるわ』と思ったり、

そういう無神経になってしまっとった自分が、

あとでやあこわいなあと思って一番怖かったです。そのあとおばの看病しながらいろいろと考えることもあったんやけど、

汚いとか怖いとかつらいやろうなあとか思う気持ちが湧いてきたいうのは、人間として帰ってきたんだなと思って、むしろ私も普通の人間になってきたなと思ったこともありますけどね。

無神経になって怖くなくなることがやっぱり戦争いうものの一番の怖さやないかなと思います。そうじゃなかったら殺し合いできんもんね」

14歳という多感な時期に高松空襲を経験した戸祭さん。平和な世の中が続いてほしいと強く願っています。

(戸祭恭子さん)「これをすんだことやでなしに、歴史をちゃんとどういうことがあってどうなったかということをね、向こうからも加害を受けたけれども、こっちからも加害している。

加害をしなかったらそれこそ、そこまでで止まることもたくさんあるからね…いうことを伝えたいですねほんとに」

高松空襲を体験した戸祭さんが戦争を知らない世代に贈るメッセージです。