関東大震災から1日で100年を迎えました。
当時、首都圏が壊滅的な被害を受ける中、数百万人ともいわれる負傷者の救護に当たった長野市の医師の記録が、初めてメディアに公開されました。


長野市の住宅で2022年、関東大震災と信州を結ぶ、貴重な資料が見つかっていました。

長野市公文書館専門主事 田玉徳明さん:
「長野市七二会のお医者さんが残した日記とアルバムになります」


長野市公文書館に寄贈されたのは、長野市七二会で診療所を開業していた医師の山本申三(やまもとしんぞう)さんの日記と写真です。


七二会に生まれた山本医師は、軍医を経て現在の長野赤十字病院に赴任。

その翌年、28歳の時に関東大震災が発生し、翌日、救護隊の一員として東京に向かいました。


山本申三さんの日記:
「突然、午前10時支部長より救護隊の組織の命おり午後2時20分の列車で関係諸氏に送られ勇ましく出発す」

およそ10万5000人が犠牲になり、記録が残る中で日本最悪の自然災害となった関東大震災。

鉄道も被災し、大動脈の東海道本線や、中央東線が不通になりました。

被害を免れた信越線に乗り、東京に向かった山本医師の隊。

車中の様子も細かく日記に記していました。