ところが…折からのコロナウイルス禍で沖縄県に「緊急事態宣言」が発令される。展示は会期を2週間残した時点で突然中止となる。県のコロナ「緊急事態宣言」の記者会見の前、真生さんには何の連絡もなかった。

真生さんは、激しく怒っていた。
石川真生さん
「(5月)23日の朝、美術館に行ったら貼り紙一枚、“きょうから閉館します”って。失礼じゃないか」(2021年8月)

この怒りを振り払うかのように、真生さんが向かったのは宮古島だ。島では、自衛隊のミサイル装備が次々と運び込まれていた。
自衛官
「カメラをこちらに向けられるのはアポとっていないので、困ります」
石川真生さん
「公的な機関だから撮っていいんだよ、何言ってんの」
当時はまだ菅内閣の時代。いわゆる安保3文書改定の1年以上前だ。

真生さんは、基地のまん前でメロン農家を営んでいる仲里成繁さんと、自衛隊基地反対を長年訴えて来た清水早子さんを撮影していた。
年々体力は落ちてきたけれども、真生さんの怒りは持続している。特に、南西諸島で起きていることに目を向けようとしない本土のマスコミに対してだ。
次に向かったのは自衛隊の駐屯自体に長年、反対を主張し続けて来た下地さん一家だ。

下地薫さんはほぼ毎日、駐屯地のゲート前で工事用トラックの前に、飄々とした表情で立ちはだかり、「反対」の意思表示を続けている。














